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聯合ニュース3/15☆<インタビュー>陶芸名匠チョン・ハンボン先生


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*聯合ニュース    :2012-03-15 08:59:15
<インタビュー>陶芸名匠チョン・ハンボン先生


"聞慶(ムンギョン)陶磁器歴史残したくて"私財8億入れて陶磁美術館建設...66年間作った作品など200点余り展示も芸名長であり慶北道(キョンブクト)無形文化財保有者のチョン・ハンボン(79)先生が陶磁美術館を作って4月にドアを開ける。

4月21日開館する陶泉陶磁美術館は聞慶市(ムンギョンシ)、聞慶邑(ムンギョンウプ)党捕吏ソン・ジュボン裾に席を占めたチョン先生作業室の聞慶(ムンギョン)この一ページに用意された。 現在の工事がほとんど終えられて開館式だけ待つ状態だ。

陶泉(トチョン)というのは名前はチョン先生の雅号で取ってきた。 248㎡規模の陶泉陶磁美術館にはチョン先生が66年間作った作品と聞慶(ムンギョン)地域陶磁器200点余りが展示される。


慶北(キョンブク)、聞慶(ムンギョン)で活動する陶芸家チョン・ハンボン先生が14日陶泉陶磁器美術館で展示された自身の作品を説明している。

記録物を大切にするチョン先生の性格のために日本でも探すのに難しい日本陶磁器関連書籍や注文書などもこちらで見ることができる。

彼は昨年5月から1年近く8億ウォンの個人財産をはたいて美術館を作った。 図体は小さくても相変らずはきはきした声を維持したまま活発に作品活動をする彼を14日美術館で会った。

チョン先生は“展示会のために外国にたくさん歩き回ったがそこは田舎にも美術館があって観光客を引き込む”として“かなり以前から聞慶(ムンギョン)陶磁器歴史の根拠を残さなければならないという考えに美術館を作るという夢を見た”と建設理由を説明した。

チョン先生はすでに40年前に陶磁器で韓流熱風を起こした主人公だ。

1933年父親の徴用で日本で生まれた彼は光復(解放)後帰国したし14才の時父親が死亡した後家族生計のために陶磁器工場小お使いに入った。

見よう見まねで技術を習得して聞慶(ムンギョン)地域では認められる技術者になったがプラスチックとステンレススチール食器が流行しながら困難を経験した。

植木鉢や要綱のような生活用品を作って難しく持ちこたえた彼は1960年代末日本のある査察周知のサクラガワシに会って人生が変わった。

サクラガワシは彼にコリョダワンを作ってくれと注文したしチョン先生は数回の失敗終わりにコリョダワンを作るところに成功した。 以後は確かな道路だったという程日本で陶磁器注文があふれた。

日本の茶同好人の間では彼の陶磁器を所有することが流行であるほどであった。 陶磁器で韓流熱風が起きたわけだ。

1972年聞慶窯を設立して本格的にチャッサバルを作った彼は1975年日本、東京・大阪などの地で開かれた'韓国文化5千年前’に初代出品するなど数百回の展示会を開いた。

チョン先生は1995年大韓民国陶芸名匠に選ばれたし、2006年慶北(キョンブク)無形文化財沙器匠と指定された。

特に彼は天皇の要請で日本王室花瓶を特別注文を受けて製作して供給するなど1974年から毎年15万ドル内外の輸出実績を記録して2005年銅塔産業勲章を受けることもした。

最近では俳優ペ・ヨンジュン氏がそれから陶磁器を作る方法を学びこの過程を本に入れて今一度注目をあびている。

チョン先生は“その時縁でペ・ヨンジュン氏が日本人を相手に私たちの美術館と慶北(キョンブク)一円を見回す旅行商品を開発して近い将来運営する予定といった”として自慢した。

陶磁器で一家を成し遂げたのに彼は相変らず質素な生活を維持していて謙虚な姿勢で人をむかえる。

外側の流れに簡単に揺れることもせず世俗の名誉にも大きく未練がましがらない。

それで世の中は彼を示して陶芸の道を悟った道人だと称する。

“美術館を完工したので茶同好人を呼び集めて弟子らと前試図したいです。 その他には望むこともないです。 ただこの美術館が聞慶(ムンギョン)陶磁器発展に役に立って若い作家が熱心に作品活動する本質になれば良いです。"
by joonkoala | 2012-03-15 15:45 | 韓国
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