人気ブログランキング | 話題のタグを見る

朝鮮日報2/11☆故ナム・ジュン・パイク氏夫人、久保田氏が語る


*朝鮮日報   2011/02/11 13:03:14
故ナム・ジュン・パイク氏夫人、久保田氏が語る



 47年前、「ビデオアート」の巨匠、ナム・ジュン・パイク(韓国名:白南準〈ペク・ナムジュン〉)氏に出会い「この男性を必ず射止める」と決心した久保田成子氏(74)。今もパイク氏への愛は変わらない。

 ナム・ジュン・パイク追悼5周忌を迎えた9日、ニューヨーク韓国文化院で開催された「ナム・ジュン・パイクの人生と芸術」写真展(撮影イ・ウンジュ氏)で出会った久保田氏は夢の話をした。

 「今年の旧正月、夢にナム・ジュンが現れたのだが、ドイツのアパートでほうきを手に部屋を掃除していました。ところがそっと見てみると、半分は青い芝生があり、もう半分には大理石が敷き詰められていたのです。お墓なんですね。今夫が住んでいるアパートなのでしょう(笑)」。パイク氏は2006年、旧正月を数日後に控え、この世を去った。

 久保田氏は、(夫が)他界して5年たった今も、夫のそばにいる。初めてデートしたキャナル・ストリート、誕生日にチャイナ・タウン456レストランで共に食べた料理、夫と暮らしたマンハッタンのアパートがいとおしくてニューヨークを離れられないと話した。「ナム・ジュン・パイクが戻ってきて、触れたり、一緒に眠ったりできたらいいのに、横にいないのが現実です。夫に会いたいときはビデオを見ます」

 久保田氏は「夫が作った作品や夫が出たビデオがアパートにいっぱい。ビデオは夫と私をつなげてくれる媒介物」と話した。ビデオアートで触れ合い交流した芸術仲間であり、妻の久保田氏は、今も思い出のビデオでパイク氏に会っている。

 時代を先取りする前衛的芸術家だった久保田氏も、ナム・ジュン・パイクという名前の前ではまだ新妻のようだった。「ナム・ジュン・パイクは40年前、(私にとって)ヨン様でした。読売新聞で顔を初めて見たとき、とてもハンサムだと思い一目ぼれしたのです。実物よりも写真の方がずっとすてきな人でした」。久保田氏は「再び生まれ変わってもナム・ジュン・パイク氏と結婚するか」という質問に「私は追い掛けるのが得意。また彼を追い掛け回すつもり」と答えた。

 久保田氏は「テレビ仏陀(ぶっだ)」の話をした。1972年、貧しい芸術家夫婦だった時代、東京で兄から1万ドル(現在のレートで83万3900円)をもらったナム・ジュン・パイク氏は、大部分をマンハッタンの金取扱店で、ゆがんだ仏像を買うために使ってしまった。「当時としては大金だったのに、がらくたのような仏像を買うのに使ってしまったのです。悔しかったですよ。ところが、この仏像をテレビの前に置いたのです。子供たちにも見せなかったテレビを仏像が見ているのです(笑)」。久保田氏が覚えている最も幸せな時代は、ナム・ジュン・パイク氏がデュッセルドルフ大学の教授として在職し、十分な給料をもらっていたドイツ時代だ。

 久保田氏は「ナム・ジュン・パイクがまだ生きていたらレーザー芸術をやっているでしょう。夫はレーザーを芸術に昇華しようとしていました」と話した。

 闘病中のナム・ジュン・パイク氏は米国マイアミで、妻に次のような文章を残した。「偉大な妻であり、偉大な料理人で、偉大な看護師で、偉大な作家で…、そしてこのような内容が100ページ以上は続く久保田成子を、私は愛し、尊敬する」


朝鮮日報2/11☆故ナム・ジュン・パイク氏夫人、久保田氏が語る_a0087238_18363515.jpg


ニューヨーク韓国文化院で行われたナム・ジュン・パイク追悼写真展で、夫の写真の横に立った久保田成子夫人。

/写真=朴宗世(パク・チョンセ)特派員
ニューヨーク=朴宗世(パク・チョンセ)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
by joonkoala | 2011-02-12 06:52 | ぺ・ヨンジュン
<< 朝鮮日報2/11☆2PMがマン... innolife2/11☆『ド... >>