*朝鮮日報 2011/01/17 11:27:22 韓半島研究40年の小此木教授、あす「最後の講義」(上) 「北朝鮮に関する論文書こうとして韓国研究の道へ」 「1970-80年代、日本で韓国専門の研究者として生きるのは孤独だった。しかし、その研究対象が徐々に発展し、日本と対等な関係になるまでの過程を見守ってこれたのは、とても幸運だったと思う」 日本で韓国関連における最高の学者として知られる小此木政夫・慶応義塾大学教授(64)が定年退任するにあたり、18日に最後の講義を行う。テーマは「わたしの韓国研究40年」。記者は14日に小此木教授に会い、韓国関連の研究者として生きてきた40年間について話を聞いた。 -韓国研究者の道を選んだきっかけは? 「修士論文が『ソ連に対する北朝鮮の自主性形成』というテーマだった。論文を指導してくださった先生(石川忠雄・元慶應義塾長、故人)は中国共産党の専門家だったが、『韓半島(朝鮮半島)全体に研究対象を広げなさい』とおっしゃった。それがきっかけとなった。そこで、1972年に慶応大学と延世大学の交換学生プログラムが始まった当時、第1号留学生として韓国に渡った」 -韓国に行くのは初めてだった? 「初めてだった。韓国に留学することに対し、すべての友人・知人が引き止めようとした。残念なことだが、当時の日本人の韓国に対するイメージは、戦前の植民地時代のままだった。72年8月から2年間を韓国で過ごしたが、研究者としては『いい時期』だった。韓国に渡り、初めて見た新聞の見出しは『8・4経済措置』で、社債を凍結するという内容だった。その後、十月維新(同年10月に当時の朴正煕〈パク・チョンヒ〉大統領が『大統領特別宣言』を発表、全土に非常限界令を発令し、独裁色を強めた動き)があり、翌年には金大中(キム・デジュン)事件が起こった。解放(日本の植民地支配からの開放、1945年)前後を除けば、韓国現代史で最大の激動期だった」 -どのような留学生活だった? 「延世大学の政治外交学科研究生として、韓国語も勉強した。当時の大学院長の家に下宿していた」 -そのころ、日本では韓国よりも北朝鮮に対し関心が高かった時期では? 「軍国主義に対する反動の時期で、大勢の知識人が左傾化した時期だった。韓国のイメージはあまり良くなかった。北朝鮮は別世界だったため、あまり悪い印象ではなかった。変な話だが、韓国関連の研究者として生きるのは孤独だった。2年間の留学を経て帰国した際、自分は異邦人だという気がした。韓国で見たこと、経験したことなどを日本人に理解させることができなかった」 -大学でもそうだった? 「1975年に初めて講義をしたが、学生も先生も変な目でわたしを見ていたようだ。誰かに直接、そう言われたわけではないが」 -「一生、韓国研究者の道を進もう」と決心したのか? 「韓国と日本は人間関係が違う。韓国の方がずっと濃く、情が深い。2年間で、わたしもそうなった気がした。日本に帰国し、『一生、韓国研究の道を進む』と言ったら、みんな驚いた」 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 *朝鮮日報 2011/01/17 11:27:34 韓半島研究40年の小此木教授、あす「最後の講義」(下) 「北朝鮮に関する論文書こうとして韓国研究の道へ」 -これまで、韓国を訪れた回数は? 「200回までは数えたが、それから後は分からない。北朝鮮には5回行った。1989年の平壌祝典の時が初めてだった。人間性に欠けるマスゲームを見て気持ち悪くなった記憶もある」 -日本では、韓国に対するイメージが大幅に変わった? 「想像できないほどの変化だ。きっかけはおそらく1988年のソウル・オリンピックだっただろう。産業化・民主化に成功したからだ。ペ・ヨンジュンさんがいくら魅力的でも、産業化・民主化の成功がなければ、認められなかったはずだ」 -韓国専門家として、韓国の発展を見守る気持ちは? 「もちろん、非常に良い。韓国から帰って来た時は孤独だったが、もう孤独にならずに済むからだ。最後に見たいのはやはり南北関係、統一だ。生きているうちに見られるかどうかは分からないが」 -今後、韓国と日本はさらに近くなることができると思う? 「日本と韓国は産業構造がほぼ同じだ。鉄鋼・造船といった重工業を土台に、自動車・半導体・携帯電話などハイテク製品の分野で競争力を持ち、国家目標も似ている。目標が同じで手段が同じなら、利益を共有できる。もちろん歴史・文化的な違いはある。しかし、世界的な視野から見れば、双子のような国だ。(フィギュアスケート女子の)浅田真央選手とキム・ヨナ選手くらいの違いとでも言うべきだろうか」 -韓国の最大の問題点は何か? 「韓国は、経済は発展したが、個人が幸せになったとは言えない。韓国人は、幸せになるために必要な努力が多すぎる。厳しい競争社会だ。公平さ、分配、社会全体の調和…こうした部分に問題があると思う」 -日本では最近、「韓国の若者に比べ、日本の若者には活気がない」という人が多い。 「一般的に言って、韓国の若者は活気はあるが、幸せではない。逆に、日本の若者は活気はないが、幸せだと言う。社会的な調和に対する日本人と韓国人の感覚は違う。日本人は原則というものがあまり好きではない。赤いもの、青いもの、黄色いもの、こうした(はっきりした)ものよりも、中間的なものを好む。一方、韓国は原色の社会だ。政治も極端な比較・対照を経て政権交代するではないか。し烈な摩擦が韓国のプロセスだ」 -今後の南北関係の見通しは? 「『中国が手助けしてくれるだろう』という確信がなければ、北朝鮮は韓国海軍哨戒艦『天安』沈没事件や、延坪島砲撃事件のような(軍事的)挑発を仕掛けてこなかったはずだ。それと同時に、北朝鮮は過度な中国依存に対する警戒心も強い。北朝鮮はピストルでプロポーズする国。結局は米国と交渉しようと言っているのだ。それにはハードルを少し下げてやる必要があると思う」 東京=辛貞録(シン・ジョンロク)特派員 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
by joonkoala
| 2011-01-19 06:46
| 韓国
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