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中央日報7/4☆細くて長い日本芸能界、太くて短い韓国。韓流スターパク・ヨンハを追慕して



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*中央日報  2010.07.04 02:51
細くて長い日本芸能界、太くて短い韓国 
韓流スターパク・ヨンハを追慕して


パク・ヨンハの死亡の便りを初めて接したのは、先月30日日本TBS放送の朝情報プログラム‘ヒルオビ’を通じてからだった。 日本ワールドカップ代表チームが前日夜南アフリカ共和国ワールドカップ16強戦でPK戦終わりに敗れたという便りで朝から放送が沸きかえった日だった。 ヘッドラインでサッカー話を交わしている間速報でパク・ヨンハの自殺の便りが伝えられたし、以後関連ニュースが日本放送を覆い始めた。

‘韓流スター’という話をよく使うが、日本人たちが誰でもの名前と顔を分かる本物韓流スターはそんなに多くない。 パク・ヨンハは日本でペ・ヨンジュン、イ・ビョンホンと共に老若男女誰でもの名前を聞けば顔を思い出させる幾つにもならない韓国芸能人だった。 日本で初めて韓国ドラマ ブームを起こした‘冬のソナタ’に出演したというプレミアムもあったが、以後歌手で活発に活動して人気を継続した。 2004年デビューアルバム‘寄別’を始めシングル アルバム8枚、スペシャル アルバム2枚などを発表しながら韓国歌手最初に4年連続ゴールデンディスク賞を受賞することもした。 今年6月にも日本で新作アルバムを発表して、5年ぶりに全国ツアーコンサートを進行中だった。 死亡一週間前の6月24日にも日本、埼玉でコンサートを盛況裡に終えたとする。

このような理由で、パク・ヨンハの死に対する日本メディアの関心は想像以上だった。 演芸情報プログラムはもちろんで一般ニュースでもパク・ヨンハの死亡の便りを比重あるように伝えたし、パク・ヨンハが日本にくる時ごとに訪ねて行ったというレストランなどを訪問して彼とオルギン理由らを伝えた。 ‘韓流の聖地’と呼ばれる東京、シンオオクボに用意されたパク・ヨンハの臨時焼香所を訪ねて行って“もう私たちはどのように暮らしていくべきか”として大成号泣するファンたちの姿を照らすこともした。 パク・ヨンハのレコードも追慕開くに力づけられてまた関心を集めた。 先月9日発表した‘スタス(Stars)’はオリコン アルバム チャートで100位圏の外に押し出されて死亡次の日の7月1日31位に跳ね上がった。 これと共に昨年発表した‘ウォン ラブ(One Love)’と‘最も愛する人’等も各々46位と87位にチャートに再進入した。

一方一部言論らは“韓国芸能人らの自殺がこのように頻繁な理由は何か”という疑問を投げている。 フジTV情報プログラム‘トクタネ’は最近何年間自殺した韓国芸能人のリストを紹介して“過度に発達した韓国のインターネット文化が芸能人自殺の主要原因になっている”という分析を出すこともした。 自殺を選択したこれらの胸中深い闇をあえて想像できないが、韓国芸能界の不安定な構造図一つの原因になっているのではないだろうか。 日本芸能人らはある企画社に一生所属して月給を受ける‘会社員’に近い。 すなわち大人気を享受することができなくても‘細くて長く’芸能界で生き残ることができることだ。 だが、韓国芸能人らは大衆の関心によりあっという間に最高の席に上がってあっという間に忘れられたりもする。 生前パク・ヨンハも“私の人気がいつまで続くかもしれない”という不安感に苦しめられたと分かっている。

個人的にパク・ヨンハに会ったのは2002年ドラマ‘ロビンユ’撮影現場であった。 当時‘冬のソナタ’の成功でしばらく株価を上げていたにもかかわらず限りなく謙虚でユーモラスだった姿が記憶に残っている。 彼が日本で行事を行う時ごとに雨が降って日本ファンたちの間では‘アメオトコ(雨男・雨を呼ぶ男)’というニックネームと呼ばれるようになったという。 彼の告別式が開かれた2日にも間違いなく雨が降ったし、100人余りを越える日本ファン(パン)が韓国まで訪ねて行って彼の最後の道を守った。 多くのファンたちの風のように空だけでこれでもいつも平安なことを。 謹んで故人の冥福を祈る。

イ・ヨンヒmisquick@naver.com



*中央日報  日本語版   2010/07/04  11:34
細くて長い日本の芸能界、太くて短い韓国の芸能界



パク・ヨンハさん(写真)の死亡の知らせに初めて接したのは、先月30日、日本TBS放送の朝の情報番組「ひるおび」を通じてだった。日本ワールドカップ(W杯)代表チームが前夜、南ア共和国W杯16強戦でPK戦の末に敗れたという話題一色だった。そんな中、速報でパク・ヨンハさんの自殺のニュースが伝わり、以後関連ニュースが日本の放送に広がり始めた。

「韓流スター」という言葉をよく使うが、日本人たちが名前と顔を知る本当の韓流スターはあまり多くない。パク・ヨンハさんは日本でペ・ヨンジュン、イ・ビョンホンらとともに老若男女誰も名前を聞けば顔を思い浮かべることのできる数少ない韓国芸能人だった。日本で初めて韓国ドラマブームを起こした「冬のソナタ」に出演したというプレミアムもあったが、以後、歌手として活発に活動し、人気を集めていった。2004年、デビューアルバム「期別」を始めとし、シングルアルバム8枚、スペシャルアルバム2枚などをリリースし、韓国人歌手として初めて4年連続ゴールデンディスク賞を受賞した。今年6月にも日本で新作アルバムをリリースし、5年ぶりに全国ツアーコンサートを進行中だった。死亡1週間前の6月24日にも日本の埼玉県でコンサートを盛況裏に終えたという。

こうした理由で、パク・ヨンハさんの死に対する日本メディアの関心は想像以上だった。芸能情報番組はもちろんで一般ニュースでもパク・ヨンハさんの死亡のニュースを大きく伝え、パク・ヨンハさんが日本へ来る度に訪れていたというレストランなどを訪問し、彼のエピソードを伝えた。「韓流の聖地」と呼ばれるようになった東京・新大久保に用意されたパク・ヨンハさんの臨時焼香所を訪れ「もう私たちはどう生きていかなければならないのか」と大声で慟哭するファンの顔を映した。パク・ヨンハさんのアルバムも関心を集めた。先月9日にリリースした「Stars」はオリコンアルバムチャートで100位圏外から死亡の翌日の7月1日には31位に跳ね上がった。これとともに昨年リリースした「OneLove」と「最も愛する人」などもそれぞれ46位と87位にランクインした。

一方、一部のメディアは「韓国芸能人たちの自殺がこのようにひんぱんな理由は何か」という疑問を投げかけている。フジテレビ情報番組「情報プレゼンター とくダネ!」は最近、数年間に自殺した韓国芸能人のリストを紹介し「発達しすぎた韓国のインターネット文化が芸能人の自殺の主原因になっている」という分析を出した。自殺を選択した人々の心の中の深い闇の部分は想像することができないが、韓国芸能界の不安定な構造も1つの原因になっているのではないだろうか。日本の芸能人たちはある芸能プロダクションに一生所属して月給をもらう“会社員”に近い。すなわち高い人気を享受することができなくても「細く長く」芸能界で生き残ることもできるのだ。しかし韓国の芸能人たちは大衆の関心によってあっという間に最高の地位に上がったかと思えばいつの間にか忘れられたりする。パク・ヨンハさんも「自分の人気がいつまで続くか分からない」という不安感にさいなまれていたという。

個人的にパク・ヨンハさんに会ったのは2002年ドラマ「loving you」撮影現場であった。当時「冬のソナタ」の成功でしばらく株をあげていたにもかかわらず、謙遜で、ユーモラスだった姿が記憶に残っている。彼が日本でイベントをする度に雨が降り、日本ファンの間では「雨男」というニックネームで呼ばれたりしたという。彼の告別式が行われた2日にもそうして雨が降り、100人を超す日本ファンが韓国まで訪ねて彼の最期の道を守った。多くのファンの念願のように天でずっと平安を。故人のご冥福を祈る。
by joonkoala | 2010-07-04 08:16 | 韓流スター
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