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Kstyle7/14☆ ヒョンビンが戻ってきた「僕は死ぬまで役者!」




*Kstyle @STYLE |2013年07月14日19時06分
ヒョンビンが戻ってきた「僕は死ぬまで役者!」


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死ぬまで役者!

2年間テレビから姿を消していたが、その期間に誰よりも価値あるものを得た。役者という仕事をどれほど愛しているか、そしてどれほど幸せな人として生きてきたのか。しばらく忘れていたことを振り返ることができた。もちろん、“お化けを捕まえる海兵隊”という誇らしいタイトルも得た。そして戻ってきた。軍服を脱ぎ、自身に最も似合うというスーツを脱いだ。初めて時代劇に挑戦する。今回は王だ。「うまくできるだろうか?」心配と不安を期待に変えたい。ヒョンビンはたゆまず努力する生まれつきの役者だから。/Directed by KIM JI YEON Photograped by KIM TAE EUN

除隊、グッバイ海兵隊!

本業から離れて2年。2012年12月6日、京畿道(キョンギド)華城(ファソン)にある海兵隊司令部で除隊式を行い満期除隊したヒョンビンは、2011年3月7日、慶尚北道(キョンサンプクド)浦項(ポハン)の海兵隊教育訓練団に入所して21ヶ月。日数でいうと641日ぶりにファンのもとへ戻ってきた。集まったファンたちであふれ返る場でヒョンビンは熱い歓声にとうとう涙を流した。「作戦に失敗しました。自分をコントロールできませんでした。もしこのような状況が発生しても絶対に泣くまいと心から決めて来ましたが、自分でも気づかないうちに涙が溢れ出ていました。演技についての話をしていた途中でそんなことになっていました。頭より体が先に実感したのか、いつの間にか泣いていました」

こらえていた感情が堰を切ったように溢れ出した。今は笑って言えるが、海兵隊は決して容易なところではなかった。2年という時間が映画のフィルムのように頭をよぎり、自分がどれほど演技をしたがっているか、その仕事をどれほど愛しているかもう一度感じる瞬間だった。海兵隊に入って最初に言われた言葉は「君はもう役者ではない。役者の習慣、行動、考え、何もかもを捨てろ」だった。演技に対する渇きに一人で耐えなければならなかった。たまに休みがあると、後輩や先輩たちが演技する姿を見て代わりに満足するしかなかった。そのたびに自分ができないことに対する熱望はさらに高まっていった。そんな中で我慢して待つ忍耐を学んだ。これからはその熱望を吐き出したいと思った。除隊を数ヶ月前に控えた時から映画やドラマを見始めた。「ああ、あの役をやりたい。あの役を僕がしたなら?」と思うと心が浮ついた。どんな作品でもいいから早く選択したかった。そして悩みに悩んで時代劇の「逆鱗」を選んだ。選択において同僚たちのアドバイスが大きく影響した。軍生活をしていた当時、頻繁に連絡が取れない状況でもチャン・ドンゴン、チュ・ジンモ、パク・ジュンフン、キム・スンウ、コン・ヒョンジンなどはしっかりと彼を支え、応援してくれた。「先輩たちと一緒にいると、ただその場にいるだけで勉強になります。多くのことを僕より先にたくさん見て経験して来られた方々ですから、先輩の行動ひとつ、言葉ひとつ、何気ない言葉も役に立ちます。そんな点で僕は運がいいと思います。そんな方々と一緒に時間を過ごせることだけでも幸運です」

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6ヶ月前、ヒョンビンはいなかった

一般人として戻ってきて6ヶ月ほどが過ぎた。自ら芸能人という認識を消したかったが、ヒョンビンではなくキム・テピョンとして自身を受け入れてくれた隊員たちに彼は感謝を述べた。「先日一緒に暮らしていた隊員たちに会いました。1992年生まれですから、僕とちょうど一回り離れていますね。2002年のワールドカップの時に小学生だったわけです。撮影を終えてしばらく時間が空いて会ったのですが、違った感じでした。歳の差はありますが、同じ時間を共有したことだけでも何となく絆ができたような気分でした。いつかは彼らと一緒に過ごした時間が遠く前のことのようになるのかもしれません。しかし、絶対に忘れたくない思い出です」

海兵隊は自ら選んだ道だった。芸能人なら当然のことのように選択する芸能兵士にはなりたくなかった。みんなが驚いたが、ヒョンビンらしい判断、決定だった。時折、軍の広報のために姿を見せたことを除いて、彼は2年間島の中に隠れていた。「僕にとって雑念を消し、自分自身を振り返る、そして新しく何かを始めるようにするための準備の時間でした。一言で言えば、体は大変でも心と精神は幸せになれる時間でした。思ったより時間が早く過ぎました(笑)」

しかし、思ったよりも大変だったことも少なくなかった。肉体的な大変さはある程度覚悟していたが、部隊の中でキム・テピョンではなくヒョンビンとして見られる視線は少なくないプレッシャーだった。彼にとってこれを解決することが課題であり、他の兵士たちに溶けこむのが難しかった。まる3ヶ月かかった。「僕の意図とは関係なく『ヒョンビンだ、本当にヒョンビンだ』という視線がありました。仕方がないと思いましたが、そのようにしてヒョンビンとして2年を過ごすわけにはいきませんでした。上からは早く役者ヒョンビンを捨てるように言われましたが、兵士たちは僕をヒョンビンとして見ていたので。二つが共存するあの時間が一番大変でした。また、一緒に暮らす兵士の中には、僕へのたくさんの視線のせいで一緒に行動したり考えたりすることで制約を受けた人もいました。ある瞬間、僕の存在が一部の人を悩まし、居心地悪い存在になっていました。しかも、年が離れているのも気になりました。このようなことが楽になるまで3ヶ月ほどがかかりました」

6ヶ月後、俳優人生第2幕「逆鱗」

男は軍隊にいくと大人になるという。ヒョンビンは軍隊にいた2年の間、人間キム・テピョン、役者ヒョンビンに対する様々な思いを整理した。一番大きく感じて気づいたことはやはり演技についてだった。10年間演技をしてきたが、それに対する大切さには気づいていなかった。役者は職業で演技は彼の仕事であるだけだった。前だけを見て仕事をし、誰かに保護され、また誰かを満足させるイタチごっこのような生活だった。その生活から離れたら本当のヒョンビンが見え始めた。「訓練所生活を終え、自隊に配置されペクリョン島に入って3ヶ月間は作品に出演したくて死ぬかと思いました。演技をする時も3ヶ月あるいはそれ以上休んだこともありましたが、その気分とは比較できないような妙な感じでした。言葉で言い表せないですが、外にいる時はやりたければいつもでやれる仕事が、軍人になるとやりたくてもできないため余計にやりたくなりました。そして自分がどれほど演技を好きだったのか、自分の仕事をどれほど好きだったのかに気づきました。演技に対する気持ちが分かって、考えの幅が少しずつ広くなり、その影響で時代劇の『逆鱗』を選択したと思います」

実は除隊を間近に控えた時からは業界では「ヒョンビンの次回作は間違いなく映画になるはずだ」という噂があった。それは既成事実化し、彼はいま「逆鱗」というシナリオを持っている。「個人的に願っていたのは演技に割く時間が多ければということでした。映画の撮影も忙しく進めことが多いですが、ドラマよりは演技に対してもう少し深く考える時間が多そうで、2年というブランクがあっただけに、もっと良い姿をお見せするためには演技に集中できる映画のほうが良いと思いました」

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しかし、これまでオファーがあった台本の中で逃して残念に思うドラマもあった。それはドラマだけではなく映画も一緒だった。ただ一つの作品を選ぶために台本を読む作業は容易なことではなかった。そうして選択した作品が「逆鱗」だ。「逆鱗」は多くの作品の中で最も長く印象に残る作品だった。他のいい台本を読みながらも、結局「逆鱗」に心を掴まれた。それで選択した。「逆鱗」はプレッシャーが多かった。除隊後の初めての作品ということや初めての時代劇だからである。確かに彼にとって乗り越えなければならない山のような作品だ。しかし、彼の起用が伝えられた後、多くの人々は疑問に思った。早まった判断をしてはいけないが、「一体なぜ?」という疑問が多かった。しかし、彼の言うように、確かに挑戦してみる価値のある作品だ。だとすれば、「逆鱗」のどこが彼の心を掴んだのだろうか。「僕は元々作品を見る時、シナリオ1つだけを見ます。その点で『逆鱗』はとにかくそれ自体を非常に楽しく読んだので気に入りました。実話をベースにしながらもフィクションを加えていて、読んでいる間非常に楽しかったです。事実だけの歴史物語ではないので、観客にも楽しんでいただけるのではないかと思います」

その代わり、彼には山のように積まれた課題が残った。「逆鱗」は龍のあごに逆さに生えているうろこ、つまり君主の怒りを意味する言葉で、これは老論や少論に分かれ政治的に混乱していた朝鮮時代の悲運な王正祖(チョンジョ)役を演じる。正祖は数多くの作品で取り上げられた人物だ。そのため時代劇であるということ以上に彼だけの正祖を誕生させることも彼にとっては重荷となった。「暇あるごとに正祖に関する本を見て必要なことを準備しています。正祖は韓国の時代劇で最も多く取り上げられた人物と言っても過言ではありません。ですので正祖に関する作品がたくさんあります。正直その作品を見たいという気持ちと見てはいけないという気持ちが半々です。今のところ見ないようにしようと思っています。どの作品にも正祖という人物の正解はないはずですから。ただ僕なりの正祖を作ってみようと思います。やり方についてはこれから考えなければなりませんが、それも久しぶりに作品に出演する僕にとって課題であり楽しみだと思います」

彼の説明や気持ちを聞いたら、ふと王の道袍(トポ:男性の略礼装)を着た彼の姿が想像された。やりたい演技とできる演技、そして人々が願う演技は一致する場合もあるが、異なる時のほうが多い。「心配されている方がいることも知っています。そして『あれは出演しなければよかった』と言われた作品もかなりあります。過ぎてみると、やらないほうがいい言われた作品のほうに多く出演した気がします(笑) 映画『私は幸せです』や『チング ~愛と友情の絆~』の時もみんなに反対されました。もしあの作品が僕の役者人生で最後の作品だとすれば、たぶん本当に悩んだだろうと思います。しかし、最後ではないのでチャレンジしたいと思いました。作品に出演して毎回観客を満足させることはできません。観客が好きなイメージをお見せするのも重要ですが、そんな演技だけですとすぐに飽きて同じ姿に退屈すると思います。そういう面で成功しても失敗しても、いつも新しい姿をお見せするのが僕のためにも僕を待ってくださる方々にとってもいいだろうと思いまいた。そしてそんな過程を経てこそ本物のヒョンビンを作れるのではないかと思いました」

最近のヒョンビンの脳の中を見てみたら8割ほどは「逆鱗」と演技に対する考えでいっぱいではないかと思う。この真面目な俳優に吸い込まれる瞬間、準備した質問の半分以上はゴミ箱に捨てられた。聞きたいことはいっぱいあったが、ありふれたゴシップを通して彼に会いたくはなかった。彼は相手の気持ちを動かす妙な魅力を持っていた。その深さが除隊後にさらに深まったようだ。早ければ8月、彼の初めての挑戦が始まる。そして俳優として人々の前に現れるのだ。自らにかける期待、そして私たちが持つ期待も大きい。

「カメラの前に立つ方法やテクニックで僕が忘れていることや、変わった点があると思います。その半面、新しい何かが僕の中で芽生えた可能性もあります。今までなかった言葉遣いや新しい表情、雰囲気などが無意識のうちに出てくるのではないかと思います。最初の撮影がとても楽しみで気になります。まさに“期待半分不安半分”です。今後半年あるいはもっと長い間みなさんの前に姿を現さないかもしれません。ですが、どこかで毎日一生懸命に演技をしているはずです。不安が安心に変わるように、そして待っていただいただけに期待を裏切らない俳優として戻れるようにベストを尽くしますので」


元記事配信日時 : 2013年06月28日10時06分 記者 : チョ・ヨンギョン、
by joonkoala | 2013-07-16 05:05 | 韓流スター
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